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English Electric Lightning 佐貫亦男氏文 [雑記録]

今回は、バッカニアの前に製作記を書きました、E.E.ライトニングについての佐貫さんの文章です。
戦前、戦中、戦後を生きた航空技術者、研究者として生きた氏の視点は、さすがに我々、一般の技術者、マニアとは違うということを感じます。

以下引用
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ライトニングの滝登り イングリッシュ・エレクトリック・ライトニング戦闘機

 1959年のファンボロウ航空ショーで見たイングリッシュ・エレクトリック(現BAC)のライトニングによる演技は忘れられないものであった。
前縁後退角60度の全く製図の矢印の頭のような平面形の主翼に、似たような鋭い水平安定翼と垂直安定板をあしらい、低空を高速で通過すると、尾筒から上下二個の排気?と雷撃のような爆音が轟いて、
ライトニング(電光)とはまさにこの機体のために命名された名と思われた。
初飛行は1957年4月4日であったが、最大マッハ数2.3は当時の世界水準としても高い目標であった。
 この企画が1948年にスタートしたことは、イギリス空軍の先見を示すもので、その後の1950年に仕様は
変更になったが、これを引き受けたイングリッシュ・エレクトリックという会社も立派である。
当時アメリカ以外の会社で遷音速風洞を持っていたただ一社であった。
このような基盤に立って決定したライトニングの形態はかなり独特なもので、果たしてその必要があるかと思われる強い後退翼、翼端につけた補助翼、胴体内に上下二段重ねの双発エンジン、胴体下面に装備したオールフライング水平安定板などが特徴である。
 最初から意識したか否かは不明だが、胴体内に荷台のエンジン、主翼内に脚車輪を引っこめることとなれば、余っている機内容積がわずかになることは自明である。
したがって、胴体下面に流線型タンクを作りつけ、まだ足りないからそれをふくらませて、まるでカエルを呑んだ蛇のようにしてしまった。
それでも不足となったので、最終型では主翼上に射出できる増加タンクを両舷二個増設する騒ぎになった。
このようになると、どうも最初の設計があまりに空力学的すぎたということになる、結果において非空力学的になってしまった。
こんなことになるのであれば、デルタ翼か、あるいは、もっと翼弦長の大きい主翼でスタートすべきであった。
 超音速全天候迎撃機としての性能はF-104やファントムにくらべても現在一流である。
逆に結うと、性能だけ向上させることは至難のではない。
ただし、敵をとらえて迎撃する武器はもはや旧式となってしまった。
 最初の武器は赤外線ホーミングのファイアストリーク空対空ミサイル二発を主要兵器とし、副として機首上面に30ミリのアデン機関砲二門を備えていた。
追加として胴体下面にアデン砲二門あるいは2インチロケット48発を胴体下面に装備できる。
 それで当時アメリカのセンチュリーシリーズ、すなわち、F-100以後の戦闘機よりも、構造的、空気力学的、用兵的に新機軸を出した機体として注目された。
確かにフラップの中まで燃料タンクとした点などは、アイデアというよりも苦しまぎれの逃げ道かもしれない。
 エンジンはロールスロイス・エーボン双発であるから全備重量はずっしりと重く、最終型は最大23トンもある。
エンジン空気口は機首まで抜け、円錐つき環状口から取入れる。
尾部排気口はアフターバーナーを使うから、可変面積ノズルとなる。
双発エンジン推力合計約10トン(アフターバーナー点火時約15トン)により海面における上昇率は最終型で15km/分にも達する高速で、この値は現在のF-104やマクダネル・ダグラスF-15と同じである。
この上昇率は250m/秒、マッハ数にすると0.73ぐらいになるから、高性能ジェット機の上昇角がいかに大きいものかを示す。
 なお、細かいことだが、ライトニングの主翼前縁を見ると、翼端に近いところに、鋸の切れ目を入れたような切り込みがある。
これは強い後退角とテーパーの大きい主翼で、低速時に左右非対称的は前縁渦が剥離して、機の操縦を妨げる傾向を止めるためのものである。
ライトニングの場合には、この傾向は境界層仕切り版で防止できなかった。
 エンジンを上下に重ねて胴体内に装着する方法は、1エンジン故障の場合にトリム(釣合い)を取りやすい利点がある。
ただし。その後の双発ジェット機で模倣者が現われないから、イギリス人的発想にように思われる。
すなわち、コメットで片舷二発を主翼内に埋め込んだ配置はツポレフTu-104を除いて追従者がなかったようなものである。
 いずれにしても、イギリスの設計がまだ張りを失わなかった時代の作品で、イギリスただ一種の超音速戦闘機で、しかも最初は単なる研究機にすぎなかったものを育て上げた努力がよい。
 ライトニングの形態として機首の大きい円輪標識を目と見たて、立てに平べったい胴体と、ピント跳ね上がった垂直安定版は、魚のコイを思わせる。
確かにそのすさまじい上昇飛行は、滝登りするコイのように威勢がよかった。
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講談社刊 佐貫亦男著 「飛べヒコーキ」より

Hawker Siddeley (Blackburn) Buccaneer 佐貫亦男氏文 [雑記録]

東大、日大で教授をされていた佐貫亦男さん(1908年~1997年)
【日本楽器製造(現ヤマハ)でプロペラの設計をされており、大戦中は技術導入のためにドイツに出張滞在されており、ベルリンで空襲を経験されています。
航空、技術評論など著書多数】の一機づつ、紹介評論した著作の中にバッカニアについての文書があり、とてもわくわくしてしまうものなので、ここに紹介します



ブラックバーン・バッカニア艦上攻撃機 「海賊の頭巾」

 ブラックバーン(後にホーカー・シドレーとなった)・バッカニア艦上攻撃機のなは、昔カリブ海などを荒らしまわった海賊のことである。
そのせいか、この機体の線にはいたるところ無頼という感じが流れているような気がしてならない。
 まず、主翼が後退翼だけれどもちょっと三日月型で、翼端が思いきりよく切り落としてある。
そもそも、この機体はレーダーの捜索を逃れて、低空で敵艦線に高亜音速(マッハ0.95)で接近することを目的とするから、低空の乱れた空気にもまれても披露しないことが先決で、荒い飛行は覚悟の前である。
そして帰投着艦のときは大きい揚力が必要になるから、そのときはエンジンから分流した圧縮空気をフラップ、補助翼、尾翼に吹きかけ、高揚力とともに操縦性を増大する。
 つぎに目につくのは面積法則に従った胴体で、二名の乗員カノピーと両側の双発ジェットエンジンナセルの間が主翼位置で溝となり、主翼の後方ではコカコーラのびんのようにふくらんでいる。
そして尾部はペンギンのしっぽのように尖って、なにか怪しげな装置を内蔵しているらしい。
 水平尾翼は普通の形だが、垂直尾翼は極めて特徴がある。
いわゆるT型水平尾翼であるのはよいとして、垂直尾翼がその上まで伸びて丸みがつき、なにか片目に黒バンドをした海賊の頭領の斜めにかぶった頭巾のようなぐれた不気味さがある。
長い尾びれが眼帯ということになるだろう。
 このなぐりこみ機の構想は1950年代の初めごろ発送し、1955年にブラックバーン社の提案が承認されて試作機20機の注文があったことは、イギリス海軍のなみなみならぬ熱の象徴であった。
機名もアタッカーでなしにストライカーとなっているから、完全に強行突破の突撃思想である。
 試作第1号機の初飛行は1958年4月30日であったが、これは空気力学的外形試験器である、以後の試作18機(ほかに一機は静的試験器)を使って十分なテストが始まった。
第2号機は主翼板厚を増して空気力学およびフラッター試験用、第3号機も同様だが、エンジンテスト兼用、第4号機は主翼折りたたみ、制止フックなどつけて空母上の試験用、第6号機は油圧爆弾倉、主翼釣下点(ストロングポイントという)などをつけて武器試験用、第6号機は電気システムの試験用、第7,8,9号機は全電子および航法と火器管制装置をつけて最終装備試験用、第10、11,12,13,14号機は第9号機と同じ装備と同じ装備で空軍省の試験を受けた。
残り15,16,17,18,19号機は実験飛行体の実用試験にあてた。
 これらのテストを眺めると、このような荒い任務軒対には実に入念な試験をするものだとわかる。
まったく海賊のしごき的な過程であるが、これを抜かしたら、たちまち空中分解したり、突入しても爆弾が落ちなかったりするであろう。
それでも、バッカニアの疲労寿命は1000時間あるいは着艦1000回といわれ、民間輸送機の数万時間にくらべて恐ろしく短命であるのは、もちろん激しい使い方のためである。
 海賊が懐中に忍ばせている武器は、核兵器または通常爆弾を胴体内爆弾倉へ、主翼下には4個まで450キログラム爆弾、空対地ミサイル、あるいは空対空ミサイルつるす。
しかも、隠密に全天候航行ができ、目標の約500キロメートル手前までは高度6000メートルで巡航し、そこから海面すれすれに降下して目標160キロメートルまで約740km/時(マッハ0.6)で接近し、それから960~104x10km/時(マッハ0.79~0.85)で突入して攻撃をかける。
なお、海面最大速度はマッハ0.9まで可能である。
ただし、この性能はブリストル・シドレーのジャイロンを装備した1型で、それをはるかに強力なターボファンのロールスロイスのスペイに換えた2型は、1963年5月17日に初飛行し、性能は大幅に向上した。
これは、1965年以降イギリス空母に配備された。
 ただ、イギリス海軍にとっては無念にも1969年に空母全廃と方針が決まった。
そこへ持ってきてイギリス空軍は新型攻撃機の予算が切られたので、バッカニアをもらい受ける話が成立した。
この結果、海軍の90機あまりのバッカニアは改装して陸上勤務となり、なお26機の陸上型が生産された。
イギリス空軍にとってみても、それまで保有していた戦略爆撃機が旧式化し、かつ最近の戦法が低空進攻攻撃となってきたので、戦略攻撃の主力として考えている。
海軍の先見が10年たって実ったかたちである。
やはり、思いついたとき開発は進めておくものだ。
 バッカニアにとっては、海賊が陸に上がって馬賊になったようなものだが、気をとり直して頭巾にちょっと手をかけ、さあ、気落ちせずにゆこうぜといっている姿である。

講談社刊 佐貫亦男著 「続・飛べヒコーキ」より
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